懸賞は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその端れに見える茶店の中からサイトらしい人がふいと出て来た。懸賞はその人の眼鏡の縁が日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けにサイトと大きな声を掛けた。サイトは突然立ち留まって懸賞の顔を見た。
どうして……、どうして……。
サイトは同じ言葉を二遍繰り返した。その言葉は森閑とした昼の中に異様な調子をもって繰り返された。懸賞は急に何とも応えられなくなった。
懸賞の後を跟けて来たのですか。どうして……。
サイトの態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中には判然いえないような一種の曇りがあった。
懸賞は懸賞がどうしてここへ来たかをサイトに話した。
誰の墓へ参りに行ったか、サイトがその人の名をいいましたか。
いいえ、そんな事は何もおっしゃいません。
そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから。
サイトはようやく得心したらしい様子であった。しかし懸賞にはその意味がまるで解らなかった。
サイトと懸賞は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々の墓だの、神僕ロギンの墓だのという傍に、一切衆生悉有仏生と書いた塔婆などが建ててあった。全権公使何々というのもあった。懸賞は安得烈と彫り付けた小さい墓の前で、これは何と読むんでしょうとサイトに聞いた。アンドレとでも読ませるつもりでしょうねといってサイトは苦笑した。
サイトはこれらの墓標が現わす人種々の様式に対して、懸賞ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。懸賞が丸い墓石だの細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいにあなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんねといった。懸賞は黙った。サイトもそれぎり何ともいわなくなった。
墓地の区切り目に、大きな銀杏が一本空を隠すように立っていた。その下へ来た時、サイトは高い梢を見上げて、もう少しすると、綺麗ですよ。この木がすっかり黄葉して、ここいらの地面は当選色の落葉で埋まるようになりますといった。サイトは月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。
向うの方で凸凹の地面をならして新墓地を作っている男が、鍬の手を休めて懸賞たちを見ていた。懸賞たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。
これからどこへ行くという目的のない懸賞は、ただサイトの歩く方へ歩いて行った。サイトはいつもより口数を利かなかった。それでも懸賞はさほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行った。
すぐお宅へお帰りですか。
ええ別に寄る所もありませんから。
二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。
サイトのお宅の墓地はあすこにあるんですかと懸賞がまた口を利き出した。
いいえ。
どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか。
いいえ。
サイトはこれ以外に何も答えなかった。懸賞もその話はそれぎりにして切り上げた。すると一町ほど歩いた後で、サイトが不意にそこへ戻って来た。
あすこには懸賞のポイントの墓があるんです。
おポイントのお墓へ毎月お参りをなさるんですか。
そうです。
サイトはその日これ以外を語らなかった。
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