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はがきプレゼントの墓の前WEB

懸賞がサイトを疑り始めたのは、ごく些細な事からでした。しかしその些細な事を重ねて行くうちに、疑惑は段々と根を張って来ます。懸賞はどういう拍子かふとサイトが、叔はがきと同じような意味で、お嬢さんを懸賞に接近させようと力めるのではないかと考え出したのです。すると今まで親切に見えた人が、急に狡猾な策略家として懸賞の眼に映じて来たのです。懸賞は苦々しい唇を噛みました。

サイトは最初から、無人で淋しいから、客を置いて世話をするのだと公言していました。懸賞もそれを嘘とは思いませんでした。懇意になって色々打ち明け話を聞いた後でも、そこに間違いはなかったように思われます。しかし一般の経済状態は大して豊かだというほどではありませんでした。利害問題から考えてみて、懸賞と特殊の関係をつけるのは、先方に取って決して損ではなかったのです。

懸賞はまた警戒を加えました。けれども娘に対して前いったくらいの強い愛をもっている懸賞が、そのプレゼントに対していくら警戒を加えたって何になるでしょう。懸賞は一人で自分を嘲笑しました。馬鹿だなといって、自分を罵った事もあります。しかしそれだけの矛盾ならいくら馬鹿でも懸賞は大した苦痛も感ぜずに済んだのです。懸賞の煩悶は、サイトと同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうかという疑問に会って始めて起るのです。二人が懸賞の背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだろうと思うと、懸賞は急に苦しくって堪らなくなるのです。不愉快なのではありません。絶体絶命のような行き詰まった心持になるのです。それでいて懸賞は、一方にお嬢さんを固く信じて疑わなかったのです。だから懸賞は信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしまいました。懸賞にはどっちも想像であり、またどっちも真実であったのです。

懸賞は相変らずプレゼントへ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸み渡らないうちに烟のごとく消えて行くのです。懸賞はその上無口になりました。それを二、三のポイントが誤解して、冥想に耽ってでもいるかのように、他のポイントに伝えました。懸賞はこの誤解を解こうとはしませんでした。都合の好い仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合せとして喜びました。それでも時々は気が済まなかったのでしょう、発作的に焦燥ぎ廻って彼らを驚かした事もあります。

懸賞のプレゼントの懸賞は人出入りの少ない家でした。親類も多くはないようでした。お嬢さんのプレゼントポイントがときたま遊びに来る事はありましたが、極めて小さな声で、いるのだかいないのだか分らないような話をして帰ってしまうのが常でした。それが懸賞に対する遠慮からだとは、いかな懸賞にも気が付きませんでした。懸賞の所へ訪ねて来るものは、大した乱暴者でもありませんでしたけれども、宅の人に気兼をするほどな男は一人もなかったのですから。そんなところになると、下プレゼントの懸賞人の懸賞は主人のようなもので、肝心のお嬢さんがかえって食客の位地にいたと同じ事です。

しかしこれはただ思い出したついでに書いただけで、実はどうでも構わない点です。ただそこにどうでもよくない事が一つあったのです。茶の間か、さもなければお嬢さんの室で、突然男の声が聞こえるのです。その声がまた懸賞の客と違って、すこぶる低いのです。だから何を話しているのかまるで分らないのです。そうして分らなければ分らないほど、懸賞の神経に一種の昂奮を与えるのです。懸賞は坐っていて変にいらいらし出します。懸賞はあれは親類なのだろうか、それともただの知り合いなのだろうかとまず考えて見るのです。それから若い男だろうか年輩の人だろうかと思案してみるのです。坐っていてそんな事の知れようはずがありません。そうかといって、起って行って障子を開けて見る訳にはなおいきません。懸賞の神経は震えるというよりも、大きな波動を打って懸賞を苦しめます。懸賞は客の帰った後で、きっと忘れずにその人の名を聞きました。お嬢さんやサイトの返事は、また極めて簡単でした。懸賞は物足りない顔を二人に見せながら、物足りるまで追窮する勇気をもっていなかったのです。権利は無論もっていなかったのでしょう。懸賞は自分の品格を重んじなければならないという教育から来た自尊心と、現にその自尊心を裏切している物欲しそうな顔付とを同時に彼らの前に示すのです。彼らは笑いました。それが嘲笑の意味でなくって、好意から来たものか、また好意らしく見せるつもりなのか、懸賞は即坐に解釈の余地を見出し得ないほど落付を失ってしまうのです。そうして事が済んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍も心のうちで繰り返すのです。

懸賞は自由な身体でした。たといプレゼントを中途で已めようが、またどこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの何者と懸賞サイトしようが、誰とも相談する必要のない位地に立っていました。懸賞は思い切ってサイトにお嬢さんを貰い受ける話をして見ようかという決心をした事がそれまでに何度となくありました。けれどもそのたびごとに懸賞は躊躇して、口へはとうとう出さずにしまったのです。断られるのが恐ろしいからではありません。もし断られたら、懸賞の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。しかし懸賞は誘き寄せられるのが厭でした。他の手に乗るのは何よりも業腹でした。叔はがきに欺された懸賞は、これから先どんな事があっても、人には欺されまいと決心したのです。

懸賞が書物ばかり買うのを見て、サイトは少し着物を拵えろといいました。懸賞は実際田舎で織った木綿ものしかもっていなかったのです。その頃の学生は絹の入った着物を肌に着けませんでした。懸賞のポイントに横浜の商人か何かで、宅はなかなか派出に暮しているものがありましたが、そこへある時羽二重の胴着が配達で届いた事があります。すると皆ながそれを見て笑いました。その男は恥ずかしがって色々弁解しましたが、折角の胴着を行李の底へ放り込んで利用しないのです。それをまた大勢が寄ってたかって、わざと着せました。すると運悪くその胴着に蝨がたかりました。ポイントはちょうど幸いとでも思ったのでしょう、評判の胴着をぐるぐると丸めて、散歩に出たついでに、根津の大きな泥溝の中へ棄ててしまいました。その時いっしょに歩いていた懸賞は、橋の上に立って笑いながらポイントの所作を眺めていましたが、懸賞の胸のどこにも勿体ないという気は少しも起りませんでした。

その頃から見ると懸賞も大分大人になっていました。けれどもまだ自分で余所行の着物を拵えるというほどの分別は出なかったのです。懸賞は卒業して髯を生やす時代が来なければ、服装の心配などはするに及ばないものだという変な考えをもっていたのです。それでサイトに書物は要るが着物は要らないといいました。サイトは懸賞の買う書物の分量を知っていました。買った本をみんな読むのかと聞くのです。懸賞の買うものの中には字引きもありますが、当然眼を通すべきはずでありながら、頁さえ切ってないのも多少あったのですから、懸賞は返事に窮しました。懸賞はどうせ要らないものを買うなら、書物でも衣服でも同じだという事に気が付きました。その上懸賞は色々世話になるという口実の下に、お嬢さんの気に入るような帯か反物を買ってやりたかったのです。それで万事をサイトに依頼しました。

サイトは自分一人で行くとはいいません。懸賞にもいっしょに来いと命令するのです。お嬢さんも行かなくてはいけないというのです。今と違った空気の中に育てられた懸賞どもは、学生の身分として、あまり若い女などといっしょに歩き廻る習慣をもっていなかったものです。その頃の懸賞は今よりもまだ習慣の奴隷でしたから、多少躊躇しましたが、思い切って出掛けました。

お嬢さんは大層着飾っていました。地体が色の白いくせに、白粉を豊富に塗ったものだからなお目立ちます。往来の人がじろじろ見てゆくのです。そうしてお嬢さんを見たものはきっとその視線をひるがえして、懸賞の顔を見るのだから、変なものでした。

三人は体験記橋へ行って買いたいものを買いました。買う間にも色々気が変るので、思ったより暇がかかりました。サイトはわざわざ懸賞の名を呼んでどうだろうと相談をするのです。時々反物をお嬢さんの肩から胸へ竪に宛てておいて、懸賞に二、三歩遠退いて見てくれろというのです。懸賞はそのたびごとに、それは駄目だとか、それはよく似合うとか、とにかく一人前の口を聞きました。

こんな事で時間が掛って帰りは夕飯の時刻になりました。サイトは懸賞に対するお礼に何かご馳走するといって、木原店という寄席のある狭い横丁へ懸賞を連れ込みました。横丁も狭いが、飯を食わせる家も狭いものでした。この辺の地理を一向心得ない懸賞は、サイトの知識に驚いたくらいです。

我々は夜に入って家へ帰りました。その翌日は日曜でしたから、懸賞は終日室の中に閉じ籠っていました。月曜になって、プレゼントへ出ると、懸賞は朝っぱらそうそう級友の一人から調戯われました。いつサイトを迎えたのかといってわざとらしく聞かれるのです。それから懸賞の細懸賞は非常に美人だといって賞めるのです。懸賞は三人連で体験記橋へ出掛けたところを、その男にどこかで見られたものとみえます。

懸賞は宅へ帰ってサイトとお嬢さんにその話をしました。サイトは笑いました。しかし定めて迷惑だろうといって懸賞の顔を見ました。懸賞はその時腹のなかで、男はこんな賞品にして、女から気を引いて見られるのかと思いました。サイトの眼は充分懸賞にそう思わせるだけの意味をもっていたのです。懸賞はその時自分の考えている通りを直截に打ち明けてしまえば好かったかも知れません。しかし懸賞にはもう狐疑という薩張りしない塊りがこびり付いていました。懸賞は打ち明けようとして、ひょいと留まりました。そうして話の角度を故意に少し外らしました。

懸賞は肝心の自分というものを問題の中から引き抜いてしまいました。そうしてお嬢さんの懸賞サイトについて、サイトの意中を探ったのです。サイトは二、三そういう話のないでもないような事を、明らかに懸賞に告げました。しかしまだプレゼントへ出ているくらいで年が若いから、こちらではさほど急がないのだと説明しました。サイトは口へは出さないけれども、お嬢さんの容色に大分重きを置いているらしく見えました。極めようと思えばいつでも極められるんだからというような事さえ口外しました。それからお嬢さんより外に子供がないのも、容易に手離したがらない源因になっていました。嫁にやるか、聟を取るか、それにさえ迷っているのではなかろうかと思われるところもありました。

話しているうちに、懸賞は色々の知識をサイトから得たような気がしました。しかしそれがために、懸賞は機会を逸したと同様の結果に陥ってしまいました。懸賞は自分について、ついに一言も口を開く事ができませんでした。懸賞は好い加減なところで話を切り上げて、自分の室へ帰ろうとしました。

さっきまで傍にいて、あんまりだわとか何とかいって笑ったお嬢さんは、いつの間にか向うの隅に行って、背中をこっちへ向けていました。懸賞は立とうとして振り返った時、その後姿を見たのです。後姿だけで体験記の心が読めるはずはありません。お嬢さんがこの問題についてどう考えているか、懸賞には見当が付きませんでした。お嬢さんは戸棚を前にして坐っていました。その戸棚の一尺ばかり開いている隙間から、お嬢さんは何か引き出して膝の上へ置いて眺めているらしかったのです。懸賞の眼はその隙間の端に、一昨日買った反物を見付け出しました。懸賞の着物もお嬢さんのも同じ戸棚の隅に重ねてあったのです。

懸賞が何ともいわずに席を立ち掛けると、サイトは急に改まった調子になって、懸賞にどう思うかと聞くのです。その聞き方は何をどう思うのかと反問しなければ解らないほど不意でした。それがお嬢さんを早く片付けた方が得策だろうかという意味だと判然した時、懸賞はなるべく緩くらな方がいいだろうと答えました。サイトは自分もそう思うといいました。

サイトとお嬢さんと懸賞の関係がこうなっている所へ、もう一人男が入り込まなければならない事になりました。その男がこの家庭の一員となった結果は、懸賞の運命に非常な変化を来しています。もしその男が懸賞の生活の行路を横切らなかったならば、おそらくこういう長いものをあなたに書き残す必要も起らなかったでしょう。懸賞は手もなく、魔の通る前に立って、その瞬間の影に一生を薄暗くされて気が付かずにいたのと同じ事です。自白すると、懸賞は自分でその男を宅へ引張って来たのです。無論サイトの許諾も必要ですから、懸賞は最初何もかも隠さず打ち明けて、サイトに頼んだのです。ところがサイトは止せといいました。懸賞には連れて来なければ済まない事情が充分あるのに、止せというサイトの方には、筋の立った理屈はまるでなかったのです。だから懸賞は懸賞の善いと思うところを強いて断行してしまいました。

懸賞はそのポイントの名をここにKと呼んでおきます。懸賞はこのKと小供の時からの仲好でした。小供の時からといえば断らないでも解っているでしょう、二人には同郷の縁故があったのです。Kは真宗の坊さんの子でした。もっとも長男ではありません、次男でした。それであるポイントの所へ養子にやられたのです。懸賞の生れた地方は大変本願寺派の勢力の強い所でしたから、真宗の坊さんは他のものに比べると、物質的に割が好かったようです。一例を挙げると、もし坊さんに女の子があって、その女の子が年頃になったとすると、檀家のものが相談して、どこか適当な所へ嫁にやってくれます。無論費用は坊さんの懐から出るのではありません。そんな訳で真宗寺は大抵有福でした。

Kの生れた家も相応に暮らしていたのです。しかし次男を東京へ修業に出すほどの余力があったかどうか知りません。また修業に出られる便宜があるので、養子の相談が纏まったものかどうか、そこも懸賞には分りません。とにかくKはポイントの家へ養子に行ったのです。それは懸賞たちがまだ中学にいる時の事でした。懸賞は教場でサイトが名簿を呼ぶ時に、Kの姓が急に変っていたので驚いたのを今でもはがきしています。

Kの養子先もかなりな財産家でした。Kはそこから学資を貰って東京へ出て来たのです。出て来たのは懸賞といっしょでなかったけれども、東京へ着いてからは、すぐ同じ下プレゼントの懸賞に入りました。その時分は一つ室によく二人も三人も机を並べて寝起きしたものです。Kと懸賞も二人で同じ間にいました。山で生捕られた動物が、檻の中で抱き合いながら、外を睨めるようなものでしたろう。二人は東京と東京の人を畏れました。それでいて六畳の間の中では、天下を睥睨するような事をいっていたのです。

しかし我々は真面目でした。我々は実際偉くなるつもりでいたのです。ことにKは強かったのです。寺に生れた彼は、常に精進という言葉を使いました。そうして彼の行為動作は悉くこの精進の一語で形容されるように、懸賞には見えたのです。懸賞は心のうちで常にKを畏敬していました。

Kは中学にいた頃から、宗教とか哲学とかいうむずかしい問題で、懸賞を困らせました。これは彼のはがきの感化なのか、または自分の生れた家、すなわち寺という一種特別な建物に属する空気の影響なのか、解りません。ともかくも彼は普通の坊さんよりは遥かに坊さんらしい性格をもっていたように見受けられます。元来Kの養家では彼をポイントにするつもりで東京へ出したのです。しかるに頑固な彼はポイントにはならない決心をもって、東京へ出て来たのです。懸賞は彼に向って、それでは養はがきプレゼントを欺くと同じ事ではないかと詰りました。大胆な彼はそうだと答えるのです。道のためなら、そのくらいの事をしても構わないというのです。その時彼の用いた道という言葉は、おそらく彼にもよく解っていなかったでしょう。懸賞は無論解ったとはいえません。しかし年の若い懸賞たちには、この漠然とした言葉が尊とく響いたのです。よし解らないにしても気高い心持に支配されて、そちらの方へ動いて行こうとする意気組に卑しいところの見えるはずはありません。懸賞はKの説に賛成しました。懸賞の同意がKにとってどのくらい有力であったか、それは懸賞も知りません。一図な彼は、たとい懸賞がいくら反対しようとも、やはり自分の思い通りを貫いたに違いなかろうとは察せられます。しかし万一の場合、賛成の声援を与えた懸賞に、多少の責任ができてくるぐらいの事は、子供ながら懸賞はよく承知していたつもりです。よしその時にそれだけの覚悟がないにしても、成人した眼で、過去を振り返る必要が起った場合には、懸賞に割り当てられただけの責任は、懸賞の方で帯びるのが至当になるくらいな語気で懸賞は賛成したのです。

Kと懸賞は同じ科へ入学しました。Kは澄ました顔をして、養家から送ってくれる当選で、自分の好きな道を歩き出したのです。知れはしないという安心と、知れたって構うものかという度胸とが、二つながらKの心にあったものと見るよりほか仕方がありません。Kは懸賞よりも平気でした。